まず最初に言っておきますが、私は1990年生まれのつまるところゆとり世代。さとり世代とも言う年代層です。
就職してすぐ「ゆとりのくせに」とか「これだからゆとりは」と差別の受けてきたのはもちろんですが別に仕事ができないわけでは無く、退職直前は一つのグループを束ねているようなポストでした。努めていた会社は男尊女卑気質が強く、女性と言うことで特別な役職名はありませんでしたが。
そして私の親は新人類世代。別記事にも書きましたが私の性格が拗ねる原因になったと思われる事件を数々引き起こしたいわゆる「毒親」です。
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今日もあーだこーだケチをつけられて泣かせられたわけですが、泣きながらこの親の対処法を調べて、そこで思い至ったことがあるのです。「ゆとり世代が打たれ弱いのは新人類世代が毒親だからなのではないか」と。
目次
ゆとり世代(さとり世代)の特徴
- 超コスパ重視。ムダと思うことはしない。
- 考える力がないマニュアル人間
- ストレスに弱い。怒られることを極端に怖がる
- 争いを嫌う
- 失敗を恐れる
- プライベートを優先させる
これはまあ、ゆとり育ちの私が言うのもなんですが自覚ありますからね。反論ありません。
他の世代の皆さんに覚えておいてほしいことは「結果にはかならず原因がある」ということだけですね。ゆとり世代がなろうとしてこういう考え方になったわけでは無いと言うことです。自分に痛みが少ない生き方をしようとした結果がこういう考え方なだけです。自分を守るために言い争いをしてうち勝とうと思う人がいるように、ゆとり世代は自分たちを守り、相手も傷つけない為に戦いを避ける選択をしたのだと思います。それを負け犬という人とはたぶん一生分かり合えないでしょうけども。
毒親に育てられた人の特徴
- 怒られることを極端に嫌う
- 自己肯定感が低い
- 自分の意思とは異なった期待に応えられる自分を作り上げる。
- 他人へのやさしさがない
- 感情を表に出せない。人の顔色をうかがう
- 相手に依存しやすい
- 裏表のある性格になる
これもあてはまるかなと。毒親に育てられたので当然ですが・・・。
正直だいぶ性格がこじれます。ITに特化した世代ですので叩かれる状況はあらかじめ想定の内で事前にネットで対応策を調べた上で同じ方法を使って叩いてきたらその対応策を使って叩き返すくらいにはね。
さて、この二つのどこに共通点があるのかというと。結果に共通点と言うより、原因に共通点があると感じたんですね。
2つの特徴を掘り下げてみる
まずはゆとり世代の一つ目の特徴から掘り下げてみることにする。
ムダを嫌うのはムダなことをしていると怒られるから
私の場合の話になってしまうが、私の親は自営なのでとにかく経営意識が強い。値段の割に合わないもの買うことは勿論嫌がるが、それ以前に行程の無駄をとにかく怒る。
子供がやることなすことやきもきするようなことが大人には多い。
あ~なんでそういう風にやっちゃうかな・・・。こうすればうまくいくのに。とついつい親が手を出してしまうことが我が家の様な家でなくても多いのではないだろうか?しかも「あんたこんなのもできないの」なんて言葉まで言っちゃったりする。その言葉は子供の能力否定につながるとも知らずに。
もちろんそこで怒ることで「自分は悪いことをしている」と自分の能力否定と合わせて、うまく言えないが存在意義を否定されている感じがしてしまう。できない子×悪い子=自分なのだ。
そのあたりも自己肯定感の低さやストレス耐性が低いことに影響しているのではないかと思っている。
出来る人が出来ない人に教えるのではなく、子供の目の前でそれを取り上げ、やってあげるという行為はできない人がやるよりもできる人が代わりにやればよい。という考えを私たちに植え付けているのではないだろうか?
その方が断然早く物事が終わるわけで、効率も良い。出来も良い。文句のつけようがない。
しかも親自身も出来上がりの良さに自分で自分を褒めたりするものだから(大体手を出すものは親自身が得意な物である)、出来が悪いものを時間をかけて生み出すよりもある程度の出来のものが素早く出来上がる方が良いと認識する。
私たちより上の世代は出来ないものを出来るようになる「行程」を重視するが、私たちは子供の時にそれが「無駄」であると教わっているのである。無駄=やる意味のない行為だと。他の世代はおそらく全員が同じことを出来るようになることを望んでいるのだろうが、私たちの世代は自分に出来ることをやって、できない事は代わりに出来る人がやればよいと思っている。万遍なく覚えるよりも、それぞれの得意な専門性を生かせばよいと思っているのだ。その方が良い物が出来、しかも早いと。
なのでムダを排除することが美徳だと感じるのではないだろうか?
考える力がないマニュアル人間なのは言われたこと以外をすると怒られるから
マニュアル人間なのも恐らく子供の時の怒り方に問題があったのではないかと考えている。
親世代である新人類世代は自らのプライベートを優先したり、それぞれの個性を重視する世代だった。そのため子供にも「あなたの好きなようにやりなさい」・・・とまでは行かないかもしれないが、ある程度自主的に決めることを求められた。教育もゆとり教育だったので自分の想像力や発想力を重視された。でも指針の無い自由は不自由な自由でしかない。
指針がないのでどうしたらよいかわからない。聞いても「好きなように」としか言われない。そんな時に便利な物が「マニュアル」、つまり見本だ。
突飛な物を作ったり発想すると周りとの異質さが浮き彫りになり、失望や怒りをぶつけられるリスクが高くなる。もちろん子供なのでそこまでハッキリと考えていたわけではないが、心のどこかで「みんなから大きく外れないように」互いにけん制し合っていたと思う。
誰かが作り上げたマニュアルの通りに作れば、褒められることはないが、怒られることもない。
不自由な自由の中で育った結果、マニュアルに沿って生きることが「最も安全な方法」だと認識したのではないだろうか?
マニュアル人間であること、自己肯定感が低いこと、自分の本意とは違うことをすると言ったところはここから形成されているのではないかと思う。
怒られることを怖がるのは支えがないから
親である新人類世代は個性を重視するし、自由をそこそこ重視する。
子供にも自由があって、自分にも自由があると思っている。(もちろん全員ではないが)
なので大人は大人で遊んでいるから、子供は子供たちで遊んできなさいと放し飼いにされる。
その経緯から、もしかしたら自分がいらない子であった場合見捨てられてしまうのではないか?という想定ができてしまう。
なので見捨てられないように=良い子=失敗しない・優秀な子でなくてはいけないと無意識のうちに感じてきたのではないか?
そして失敗してしまった子はなかなか立ち直れずしかもどうしてよいかもわからずそのままニート化してしまうのではないかと思う。
失敗しても立ち直るために助力してくれる支えが無いと思っているため、ムダをしたり失敗することを極端に嫌がるし、怒られる=失敗だと思っているし、見捨てられないために自分の意思とは異なる自分を作ることになり、裏表のある性格になったり、また失敗するリスクを極力減らすために争いを避けるのではないかと思う。相手の顔色をうかがうのも失敗を恐れるからかもしれない。
またプライベートをシッカリ分けるのは裏表の発覚を防ぐためであり、表の部分で受けたダメージを裏の部分で癒そうとするからではないか?
逆に言えばゆとり世代は失敗を特に恐れる世代なので事前準備や下調べなどは得意かなと思います。(失敗しないパターンを編み出すために)
性格がひねている人と話すととことんこじれるくらいには性格もこじれ気味ですが・・・。
超コスパ思考なので単調作業をやらせると意外と早かったりします。私たちの目的は残業にはなく、「早く仕事終わらせて帰ること」なので。でも低賃金は嫌なのです。仕事を早く終わらせることに見合った価値が得られない場合はダラダラ仕事をします。なので役立たずと言われてしまうのですね。
残業した方が給料が高くなり、良く見られるのから残業するのですから。
残業している人の方が評価が高い会社はとことんダラダラすると思いますよ。逆に定時に帰る方が給料が高くなるならおそらく速攻で仕事を終わらせて帰るはずです。無駄なこと嫌いですからね。(実際私も早く仕事終わらせて帰ろうとしたら一日の給料が時間の割に高くなりすぎた(歩合給だった)ので給料下げられる羽目になり残業した方が給料下げられないので残業するようになりましたしもっと安い賃金でもっとたくさん働けと言われたので会社辞めましたしね)
ゆとり世代への理解の助けになればと思います。