東日本大震災から6年がつい先ほど経過した。
振り返ればあっという間だった気がする。
あの日、まだ会社に勤めていた私はもう少しで15時の休憩の時間だなあなんて思っていたりしたところに急に地震が来て慌ててテーブルの下に潜り込んだことを覚えている。
部長に品物優先だとか言われて、せっかく逃げて外に出たのにガス漏れしている作業場に戻らされた。でも作業リーダーに逃げなさいと言われて逃げさせてもらった。あそこで逃げられていなかったら私は逃げ遅れて津波に飲まれて死んでいたかもしれない。
私は20になったばかりの若造で、あの時は地震がとてつもない大きな事件であると頭では思っていたが実感が伴っていなかった。
帰る時に信号は止まっていたが日本人というのはルールを守る民族だからか信号がなくても互いに譲り合って事故もなく帰ることができた。
けれど地震が来て津波が来るということをわかっていながら海沿いを走るという愚挙もしていた。
私が家にたどり着いたころ、津波が来たらしいということを後から家に帰ってきた父親に聞かされた。私が通って帰った道は、私の通り過ぎたほんの数分後、津波に飲まれてしまったのだと。
私の家は高台の上にあった上に地盤の固い場所だったらしく、別段被害と言えるようなものはなにもなかった。
両親は家を建てたことから地震が来ることを想定して家を建てていた。
言われてみれば、30年も昔から私の住んでいる宮城県は地震が来ることが予想されていたので避難のための情報が公開されていたり万が一の時のための用意がされていて当然の県だった。
それでもたくさんの人が亡くなった。
一番最初に復旧したのは電気だった。
元々うちはプロパンガスだったのでガスは止まってはいなかったので、煮炊きに困りはしていなかった。電気も3日程で復旧し、早いところでは震災の次の日には復旧したらしい。
その日からほぼ毎日あのCMを見ることになったわけだが・・・
ニュースがほぼ常時流れるのは当然として、あのCMはノイローゼになるのでもっと違うものにしてくれた方がよかった。普通のCMが流れるようになっただけで、少し安堵を覚えたものだ。刷り込みの様に同じCMばかり流していると洗脳でもされているかのようにただでさえ滅入っている精神を余計に滅入らせてくれる。
食べ物や生活の不便さは割とすぐに緩和されるが心のケアは簡単ではない。
TV業界では震災でたくさんの人が亡くなっているときに不謹慎だという意味で広告CMを止めたのだろう。もちろんそれもわかる。
でも生きている人が滅入っているときに励ましてくれるのもTVが一番身近なコンテンツであると思う。
被災地に来てくれて歌を歌ってくれたり持ち芸披露してくれた芸能人さんたちが来てくれたことは本当に滅入ってる心を救ってくれたと思う。
それからは、すぐに復興に向けて動き出す人とただ茫然となにもしないでいる人と極端にわかれてしまった気がする。
6年たった今でも自立できずに仮設住宅で暮らしている人もいる。
65歳を過ぎて一度定年したが復興のためにと震災が起きてすぐに錆びた金槌をもう一度取り出した大工もいるのに、だ。
震災のためにと募金をすることは大事だと思う。
けどタダでお金を配るのは自立心を削ぐ行為なのでできるなら、企業は募金を募るより、集めるよりもその分雇用を一人でも多く増やしてほしいと心底思った。
募金をしてくれるのはうれしい。
でも被災地の食べ物は危ないから食べるのをやめようって行為が一番被災地の首を絞めるのだ。
スーパーなどで未だに福島県産と書かれている場所だけがやたらに値段が低いのを見ると、いくら募金などで協力していると言ってもしょせん他人の出来事で自分に関わってほしくないと思っている人がいることを感じざるを得ない。
明日には自分たちが同じ立場になるかもしれないのにだ。
転校先の学校でのいじめや近所での嫌がらせも絶えないと聞く。
そういう人たちは自分たちが同じことをされてからでなければわからないのだろう。
災害はいつくるかわからない
震災が起きたときは冬だったから、缶詰がなくても、冷蔵庫の電気が止まっても外に近い場所においてさえすればすぐに食べ物が腐ったりしなかった。
寒いのは毛布にくるまるなりしてしのぐことはできる。
これが夏だったらもっと悲惨だったに違いない。
食べ物はすぐに腐り、熱中症に倒れる人もいただろう。
そのために今まだ災害時の準備をしていないという人がいたら準備をしてほしい。国の支給は無限ではないし、住んでいる場所によってはすぐに支給が届くとも限らない。孤立状態になることも十分考えられる。
災害が来るのはいつかではなく、明日かもしれないのだから。
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